花束みたいな恋をした、観た

端的に説明すると、たまたま偶然出会った男女が、趣味が合って仲良くなって恋をして、お付き合いして、環境が変わっていくごとに価値観もズレていってお別れした。それだけのことで、特別なことはなんにもない。多くの人が経験して、忘れていくような。何にもないのに、心に突き刺さって反芻してしまう。
そういう映画だった。

はじめたての恋って、さらに自分が大切にしてるものをわかってくれる人との恋って、本当にきらきらしている。それこそ、摘みたてのお花みたいにみずみずしくてむせかえる豊かな香りがするような。
絹と麦は、別に最初から恋愛観や人生観の足並みが揃ってるわけではなかった。ただ、好んでいる小説や、映画や、漫画や、そのなかで大切にしてきた感性が似通っていただけで。若い頃って、好きなものが被れば被るほど運命を感じるし、おんなじようにこれが好きなんだから自分自身と似てる。って思ってしまうよね。それほど、エンタメに対しての盲信がある。
そのほうが、2人だけの終わりのあるパーティーをする分には、卓は盛り上がるだろう。好きな歌詞。好きな台詞。あの日あのときのライブのチケット。運命的な要素。でも、パーティーを終えて2人で生活を続けていくとなると、好きな作家が同じことより、トイレットペーパーがダブルかシングルか、そんなどうでも良さそうなことのほうがむしろ重要だったりもする。

付き合ってすぐの頃から、絹は「恋とはいつか終わるものだ」と考えていた。対して麦は、一緒に居続けることを一番にして、自身を変えることも厭わなかった。最初から少しずつズレがあったのだ。そして、時間が経ってお互い就職して、同じように変わっていければよかったのに、そうはならなかった。
麦は夢があって、自分の才能を信じたくてがんばっていたけれど、絹はそれがなかった。自分の作品を認めてもらえない苦しみも、"芸術活動"のなかで平然と行われている最低な行為も、夢を折るには十分な要素があったことが絹にはわからないまま、麦も絹に伝えないまま。絹は絹で、男の友情の裏にある女性にしか見えない嫌な部分を、麦に伝えないまま。
2人は日ごとに大きくなっていくそのズレを話し合うことですり合わせずに、なんとなく、なあなあで、その日を穏やかに過ごすことで有耶無耶にした。運命感って、恋愛を盛り上げるには最高のスパイスになるけれど、一緒に居るための努力とは正反対の場所にある。はじめ会ったとき、いくらお揃いのスニーカーを履いていても、昔から疑問に思っていたことが完全に一致していても、2人は以心伝心ではなくて、話さなければ伝わらない。違っている部分のほうが遥かに多いのに。 今村夏子のピクニックでたとえ感動する2人だとしても、わかりあえないことなんていくらでもあるのだ。
物語の後半、麦が強い口調で意見を言うと、絹は決まって逡巡したあと、「そうだね。確かにその通りだね」と同意する。言い争いをしても、心にもないごめんねで場を濁して、無理に出した明るい声で、解りあうことよりも今現在なんとなく穏やかにいられることを選択する。
一緒に暮らして、仕事もしていて、家でも難しい顔して考え込みたくない。疲れた体を引きずって帰って来て、そこでまで言い争いをしたくない。疲れた顔して帰ってきた人に、喧嘩をふっかけたくないし、上手い言い方も見つからないし。ここで笑ってお茶を入れて、空気を変えれば今日もまた、何事もなかったようにベッドで2人眠れるのだから。

埋めようのない亀裂が見過ごせなくなった頃、2人は別れることにする。はじめは麦も、楽しかった頃の思い出があるからこそ、それが惜しいからこそ結婚しようと考える。麦にとって1番は絹と一緒に過ごすことで、そのためならどうにでもできると。けれど、ひとつのきっかけで、花束みたいに美しく、みずみずしかった恋のひとつ一つの記憶を惜しむからこそ、2人はやっぱり別れることを決断する。きれいだった花を惜しんで、ありがとうという気持ちで水を変えて、また違う花を花瓶に挿すように。2人は恋を終わりにした。

そうして、家のこと、家具のこと、飼ってるペットのこと。別れてからの2人はむしろ楽しく、仲良く、億劫なすべてを片づけていく。こんなに笑い合えるなら、別れなきゃよかったのに。こっちがそう声をかけたくなるほど楽しげに、明るく。でもそれは「前に付き合ってた他人」だからできること。もう他人だから、昔と違う価値観を見せられても笑って流せる。もう他人だから、あのとき浮気してたの?なんて笑って聞ける。でも、「昔、付き合ってた」他人だから次会ったときはなんの言葉も交わさずに、ただ昔を懐かしむことしかできない。どんなに趣味が合ってつもり積もった昔話があったとしても、2人は友達じゃなくて他人だから。

これ、私たちのことじゃん。今現在生きてる人たちにそう思ってもらうことに極振りしてるような映画だった。これ、あの頃の私たちじゃん。これ、今の私たちだけど、これからどうなるんだろう。これ、今の私だけど、これからどんな出会いがあるんだろう。どこまでもありふれているからこそ、心に突き刺さる、そういう映画だった。