ともにあゆむ

 

 

毎年、年末年始は急に憂鬱なきもちになってしまう。今年も何もできなかったとか、来年もこれが続くのか、とか。節目は自分自身を省みることが多いので憂鬱になってしまう。

 

自分の抑うつ寛解してからずいぶん経つが、抑うつの原因である家庭環境は良くなるどころか悪化の一途を辿っている。

ねむいのにねむるのがこわくて今、これを書いているんだけど、きっとこの苦しみは私が生まれ落ちてから死に朽ちるまでずっと抱いていなければならないものなんだろう、という諦念のようなものが浮かんできた。

 

人間は変わらないし、私も家族への感情を捨てることができない。現実は変わらないし生活は続いていく。

 

だからきっとこれからも苦しいままで 苦しみをどうすることもできない。

 

2021年はすべてを許そうと足掻いて、絶望するのではなく目の前のことから片付けていくことを自らに言い聞かせていた。

その対策はたぶん間違っていない。

絶望して何も手をつけなければさらに悪いことになる。この現実において底なんてあり得ない。沼のように、さらに下には地獄が待っている。だからこそ一つずつ目の前のことをこなして、なんとか生活をやっていく必要がある。

さらに落ちないようにするだけの、対処療法だとしても。

 

 

自分の力ではどうしようもないことばっかりだ。私がいくら苦しくたってどうでもいい。でも自分の大切な人が苦しんでいるのをそばで見続けることしかできない。どうすることもできずに、苦しむところを眺めていることしかできない。それはどんな罰より地獄のような痛みだ。

 

でもそれが私が生まれ落ちてから決まりきっていた世界で、逃れられない事実で、それを受け入れ抱えて死ぬまでやっていくしかない。

絶望して、自殺して逃げることも許されない。一つずつ、自分にできることだけをこなしていく。諦めるのではなく、やれることだけを。淡々と。粛々と。

 

続いていく生活。削られていく時間。

抱え続けていく痛み。

 

今年も、絶望することなく、やっていく。

 

 

生活

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