シンエヴァ感想(ネタバレあり)


一度観ただけ、とり急ぎ感想を

(ネタバレを含みます)
















シンエヴァによって、エヴァンゲリオンという作品はよりいっそう特別なものになった。本気でそう思うほど、これまでのテレビアニメ版、旧劇場版を含めた終わりにふさわしい作品だった。






・村の生活について
2時間40分という長編になったのは、前半の「第三の村」での生活を丁寧に描いたことによると思うんだけど、これによって、シンジが人類補完計画ではなく、人間が生きるこれまでの世界を選ぶことの根拠が強化されている。さらに言うと、人間の生活の尊さ、継承されていく命をていねいに時間をかけて描写することによってシンジやレイが生きることを肯定的に受け取れるようになっていく。
シンエヴァを観た後でテレビアニメ版での「おめでとう」や、旧劇場版での心象風景の描写を見てみると、きっとあの頃理解不能だった部分がより芯に迫るんではないかと思う。

・大人キャラ
新劇場版では、旧劇場版と違って14年の歳月が経っている。それによって、ミサトやリツコ、アスカなどのシンジ以外のキャラクターは精神的な成長が見受けられて、そのおかげで終盤からヴィレにとって良い方向に巡っていた。もともと、テレビアニメ版・旧劇場版ではミサトやリツコなどの大人キャラクターも精神的な不安を抱えており、自己矛盾やインナーチャイルドによって感情的になる面が大きかった。それはそれで大人という存在のリアルという感じがして私は好きで観ていたけれど、そういった大人キャラクターの精神的な幼稚さがエヴァに乗る子どもたちを追い詰めることに繋がっていた。シンエヴァでは、アスカもミサトもリツコも、葛藤を抱えつつも精神的に成長し、変わった様子が見られてよかった。

・これに合わせて、ミサトについて
ミサトの破・Qの発言の矛盾や、シンジへの態度に対してこれまでオタクたちは散々おもちゃにしてきた。過度なヘイトを向けてシンジの辛い境遇を全てミサトのせいにするオタクもたくさんいた。ミサトの発言をネタにしてPVを稼ぐのがテンプレートになっていってた。ミサトはシンジに悪影響しか及ぼさないとしていたオタクたちの解釈に対して、きちんと作中でミサトの葛藤と贖罪、シンジとの信頼関係を見せてくれたことに感謝。ずっと堪えててよかった。ずっとミサトさんを信じてきてよかった。やっぱりあなたは最高の艦長で、まぎれもなくシンジの家族だよ。
あと、ミサトさんが女版ゲンドウとしての道を歩んでるという感想がちらほら見受けられるけど、私は全くこれには賛成できない。ゲンドウは父としての存在は放棄せずにシンジを拒絶したし、自身の欲望のためにシンジを利用しようとした。対して、ミサトさんは一貫してゲンドウとは対立した立場にいたからこそヴィレの艦長をしていたわけだし、実際ヴィレの働きがあったからこそ、息子が住んで、健やかに成長することができている(?)村が存在できた。母としての存在も明かしていない。もし、万が一息子リョウジが「自分は要らない子だから両親に捨てられたんだ」という発想になってしまった時、それを止めて真実を話してくれる大人もミサトさん自身が犠牲になることで生かすことができた。ただ、贖罪のためと言っても2人のアプローチ方法はまったく違ったものだと思う。

碇ゲンドウ
旧劇場版で幼いシンジとシンジの心象世界が描かれたのに対して、シンエヴァでは碇ゲンドウの幼少期からこれまでの感情が描かれたのも、安心した点の一つだった。ゲンドウの気持ちを聞かせてもらったことで、シンジはシンジで、ゲンドウが何を考えているかわからない強固で怖い大人ではなくて、自分と同じように葛藤する弱い人間であるということが理解できるようになった。思春期というのは自立心が芽生えて親から巣立つ準備をする時期であるとともに、親も一人の人間で、間違えるし自分とは違う思想を持っているということも理解する段階にある。ゲンドウとシンジは今まで向き合ってこなかったからその段階を踏むことができなかったけど。
本来なら、親子の対話はゲンドウから持ちかけなければならないはずだった。でも、シンジのほうが先に集団に揉まれ、人間を受け入れることができたから、ゲンドウはシンジに救われた。幼いシンジはゲンドウに抱きしめてもらうことができたし、無数の綾波レイにも見つけることができなかったユイを、シンジに見つけることができた。対話は遅すぎた。ゲンドウはどんどん歳をとるごとに頑なになって、きっとこの後に及んでじゃないとシンジの言葉になんて耳を貸さなかっただろうから、仕方ないんだけどね。

・エンディングについて
最後の成長したシンジたちの実写パートを作中の現実として受け取っている人たちがたくさんいてわりとびっくりしている。駅のホームで突然首の輪っか(名前失念した)をマリが外すことある??あの描写で私はあーこれは現実ではないのかなという理解をしたのだけど。作家論的に言えば庵野監督がモヨコさんの手助けによってエヴァから解放されたとも読み取れるし、作品のみで解釈すれば単純に彼らの世界はエヴァンゲリオンが存在しない世界(使徒が存在しない、リリンが繁栄した世界)としてこれから栄えていくという意味なのかなと捉えた。




とりいそぎだから、思いついたらまた書き加えていく。




エヴァは終わる。終わるが、私たちのリアルは続く。私の人生にずっとエヴァは寄り添ってくれるし、変わらない私のつまらない生活を肯定してくれる。人間と関わることが怖い私に逃げるなと伝えてくれる。生命の尊さを教えてくれる。
改めて、さようなら、すべてのエヴァンゲリオン庵野監督、そしてエヴァをつくってくださったすべての方に、ありがとうございました。