それでも音楽を好きでいたい


鬱が寛解して1年ほど経って、身体的なしんどさや、自殺衝動はほとんどなくなった。
幻聴もなくなったし泣かなくなったし、笑える。

けど、別に性格が明るくなるわけでもない。社会に適合できるわけでもなく、相変わらず人間キモ……と他者と関わらず、好きなことも楽しいこともやりたいこともなく、ただ自殺するという行為のハードルを超えるほどの衝動が湧かずにだらだら過ごしている。惰性。なんとなくネットサーフィンしたりyoutube見たりして寿命こないかな〜みたいな。何かを考えると瞬時に辛くなってしまうから、自然と考えないようにする癖がついてしまった。

そういうわけでほとんど本も読まず、音楽も聴けず、ギターもベースも触らずに生きてる。…………………それが、本当に気持ち悪いんだ。

物心ついたときから活字中毒だったし、鬱になる前は本を読まない自分なんて想像つかなかった。それに初めて自分で選んで始めたのはギターを弾くことだ。鬱になってからも音楽に命をつなげられていた過去から考えたら、今の状況はありえない。焦ってる。何も感じられない自分に。これはいわゆるアイデンティティの崩壊というやつだ。

鬱は寛解したはずなのに、なんでできないんだろう…………。散々考えて出た結論は、実は大して好きじゃなかったんじゃないか。って。
だって、世間では毎日ギター触って、毎日本を読んで、毎日文章を作ったり歌をつくったり、それをしないと生きてけないみたいな人が尊敬されるような結果を出す。つまり、私はクソほどの凡人だから怠惰には勝てないんじゃないか?と結論を出して、もうおれは負けだ〜〜と怠惰に屈服している。好きもやりたいも、怠惰に勝てない人類が存在する。

そうやって諦めつつやっぱり音楽でどきどきしていた頃に戻りたいし、もっと本を読んで自分の思考を活字に残しておきたかった。そういうちょびっとの欲が自分の中に残ってる。ちょびっとの、まともな人間になりたい欲で無理やり音楽を聴いて、無理やり本を読んで、感情を捻り出そうとしてみたり。
でも無理なんだな〜〜〜。昔みたいにわくわくしたり、自分も歌いたい、弾きたい、書きたい、そういう生き生きとした感情に火が灯らない。音楽も読書もない自分に何があるっていうんだろう。なんにもない。ほんとは最初からなんにもなかったのかも。わからない。

生きた人間になりたい。それでも音楽を好きでいたい。音楽を好きな私でありたい。歪んでるかな。