夏がくるとかなしい

 

  毎日忙しすぎるのでなにかをまとまって考えることもなくなってきた。朝起きて学校に行って、予備校に行って、もう日付を超えている。さっさと風呂に入って寝たら、またその繰り返して、少ない休みは金を稼いで、あっという間に今年も半分が終わろうとしてる。夏の思い出っていうのはよくないとおもう。春より秋より冬より、夏のほうが忘れられなくなるからだ。雨が降ったり止んだり、いやな季節が早く過ぎてほしいのに、夏がきたらやっぱりかなしいから、やだね。

  神聖かまってちゃんのちばぎんが今年で脱退するらしい。10周年ライブで、いまが一番幸せって笑ってるのを直接見てたから、相当ショックだった。でも、理由を聞いて深く納得してしまったし、なにより、配信で娘さんの話をするちばぎんがしみじみ微笑んだり、なんだか知らない顔をしてるのを見てたら、責める気とか、残ってほしいなんて言葉をぶつける気を失ってしまう。だって一番続けたいのはちばぎんだとおもうから。今は夜勤で肉体労働をしながらバンド活動をしてるって。大人になるってのはやだねえ。綺麗なものの後ろにどんだけの苦しさがあるか知ってしまうから、素直に憧れられないよ。でも、この真っ暗を知ってるから、なおさら涙が出るのかも。知りたくないことばかり、チカチカ、液晶にうつって、吐きそうになったりいろいろ。 

  いまこんなに頑張れるなら、最初からやっとけよって話なんだけど、去年とか一昨年はほんとにどん底だから、思い返してもやっぱり無理だったっておもうし、後悔はしてても同じことを繰り返すとおもう。何度もオタクしてなかったらとか、なんでちゃんと学校に行けなかったんだろうとか、もっと別の大学だったらとか、サークル入ってなかったらとか、恋人と出会ってなかったらとか、なんどループするんだよって回数考える。しょうもないね。やっぱり些細なことで突き落とされちゃうから、心臓から血が流れるみたいに痛くなると、ぜんぶ忘れたいっておもう。雨上がりのコンクリのにおいとか、手のひらのあったかいとこも、くれた言葉も、うれしくて泣いたことも、これでもう充分っておもえたことすら、それも要らないからぜんぶ忘れたいって思っちゃう。馬鹿だね。馬鹿だねほんと。自分の汚さを知ってる。それだけで充分って言い聞かせてる。ひとつひとつこなしていくしかないことも知ってる。生きてくしかないことも知ってる。独りで。

  なにが好きとか、なにしてるとか、なにに成りたいとか、そんなに重要かな?犯罪しないで、自立して、ただ生きてるだけじゃだめ? 好きである自由もあるなら、なにも好きでない自由も欲しい。わがままかな。センセーが、オリジナリティ主義って言ってたの、まじそれなってなったよ。だって、私がこうして紡いでる言葉だってどうせ今までインプットしてきたことのランダム再生でしかないし、私って肉体になんか空っぽの私が宿ってるだけだし。でも、それでもいいし、それがいいし、何かを成したってなさなくたって、笑わなくたっていい。愛されなくてもいい。だって愛とかわかんない。なにもわかんないのに愛だけわかったような顔をするのはずるいとおもう。

  夏になるとそういういろんなことがかなしいのに、空が高くて、湯気が出るみたいに体が火照って、ちぐはぐになるからいやだ。部屋にこもって、スノードームの中にいるようなあの気分を早く味わいたい。夏がこなければずっとこのままで居られるのにね。しゃがみ込んでも気づいたら流されてるからこわい。