もうすぐ大丈夫になる

 私は友だちがいない。
こんなふうに書くとほんとうに恥ずかしい。23歳にもなって友だちがうんぬんとか恥ずかしい。でも私はほんとにほんとに友だちができない。そしてそれをずーっとコンプレックスに思って生きてきた。
思えば小学校高学年くらいの頃からすでに陰キャ属性でスクールカーストは底辺だったし、友だちもかろうじて数人、ひとりぼっちにならない程度に同じクラスに1人だけくらいの割合でしかいなかった。中学も同じ。しかも、その交友関係が毎回長く続かないですぐ途切れてしまう。だから幼馴染で今もめちゃくちゃ遊ぶ!みたいな、地元の友だちが1人もいない。
極めつけは大学で、サークルに4年間入りっぱなしで合宿とかも行ってたくせにほんとうに友だちができなかった。卒業してからも連絡をとり続けてるのはほんの1人だけ。たぶんもうサークルの人間からは私の存在とか忘れられてるとおもう。いま現在、かろうじて片手に収まる程度に連絡をとってくれる人はいるけど、はたしてそれはいつまで続くんだろう。それはわからない。
 だいたい、友だちができないのなんて本人のコミュニケーション能力や行動力の問題だろなんて思われるだろうが、実際、なんで友達できないんだろう……と考えると本気で自分に理由が思いついてしまうから最悪だ。まず、根暗すぎて面白いことが言えない。すぐ自虐するしテンションを上げることができない。ふざけたり意味のないことを言って盛り上がることもできない。暗いから話しづらいとおもう。あと、テレビも見ないし流行が分からないから話のネタがない。筆不精で自分から連絡を取ることはしない。ちなみにこれは自分が嫌われてるという前提で人と関わってしまうから気軽に遊びとか飲みに誘ったりできないだけなんだけど、周りから見たら単に付き合い悪いだけにうつるだろう。思いついたことを羅列しただけでもわりと最悪すぎて自分でもこんなやつと絶対友達になりたくないな……と思った。しょうがない。こんな人間なので、友だちができなくとも。
 しかし、それを直そうと奮起したことがあった。私は人間関係をうまく築けないことから逃げてきた。それを反省して、大学ではサークルに入ってがんばって飲みにも参加したし、がんばって流行をつかもうとして大学生っぽい格好をして、恋愛の話とかして、とにかく金を使い果たして人と関わった。笑ったし、ふざけたし、お酒を飲んだし、自分なりに友だちをつくろうとした。向いてないことをがんばったってこともあるのか、鬱になって全然うまくいかなかった時期もあるけど結局サークルの幹部にもなって、いわゆる中心のメンツとして最後のほうは全部の行事に参加した。いろんな人と2人きりで飲みに行ったし、電話もしたし、深い真面目な話もした。同性とも異性とも。たくさん思い出ができた。
 でも、結局友だちはできなかった。サークルの行事で会う、ただそれだけで終わった。みんなが遊んでる時、自分は誘われないし、みんなが飲みに行ってる時、それを私は知らない。インスタのストーリーや後日のみんなの話で知る。みじめだ。(爆笑)(爆笑)って感じ。友だちができないのは行動力がないからとか、自分から働きかけないからとか、そういう理屈をねじ曲げるほど私は人に好かれないんだなぁ、ということを身に染みて染みて痛いくらい学習した。あの頃、周りの人は私がどう見えていたんだろう。陰キャががんばってて痛々しく恥ずかしい感じになってたのかな。みじめだな。でも、冷静に考えれば、私がその共同体に適合する性格やキャラクターじゃなかっただけで、少なからず友達がいないわけじゃないし、世界は広いんだからもうちょっとがんばればたくさん仲良くしてくれる人が見つかるのかもしれない。ていうか、たぶんそうだと思う。いくつかの場所で適性がなかったからと言って全てがだめなわけじゃない。わかってる。でも、そのとき一緒にいてくれたみんなはやさしかったんだよ。いい子たちだった。むかつくところや受け入れられない部分もあったけど、一緒にいて楽しかった。それに、私に好意を持ってるような顔をしてたよ。冗談で笑ってくれるたびにうれしかった。楽しい時間を共有できたと思ってた。でも、そう思ってるのはほんとうは私だけで、周りは私がいなくてもよくて、なんならいないほうがよくて、私がその場にいるサークルのメンバーだからというただそれだけの理由で輪に入れてくれていた。たぶん、笑ってくれていたのは良い人たちだからこそのやさしさとか、その場のノリなんだとおもう。そのやさしさと自分の勘違いがみじめで、こわい。私、みんなと友だちになれたと思ってた。そしてたぶん、友だちとか飲みに誘う誘わないとか、卒業後の関わりとかをそんなに重く捉えて考えてる、それ自体が気持ち悪いんだよね。これってモテない男がちょっと親切な女の子に好かれてると勘違いするやつと一緒だよね。私はみんなに片思いしてた。
 私はこれからずっと、当分、どんなに好意を示されても信じられないし、信じない。そのほうが誰のためでもある。私を友だちだと受け入れてくれている誰かのその仕草は、たぶんやさしさや同情や、その場のなりゆきであって、私は一緒にいたい相手ではないんだと思う。わかる。わかるよそういう人間だから私は。私はつまらない人間だとおもう。それが良いとか悪いとかではなく。それが事実で、矯正するすべを持たないことも、事実。
 友達がいない。これからもたぶんできない。でもそれでいい。それが私なんだろう。いつかこういう経験も薄れるくらい遠い記憶になる。早くそうなるように、わざと傷を開いて文字に起こしておいた。実際、社会に出て友だちがいるいないってとるにたらないことで、大したことない。だからたぶんきっともうすぐ大丈夫になる。大丈夫になったら、この文章も笑えるようになるだろう。